大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所尼崎支部 昭和56年(ワ)689号 判決

原告

濱吉勲

濱吉惠子

右両名訴訟代理人弁護士

田窪五朗

上山勤

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

被告

兵庫県

右代表者知事

貝原俊民

被告

尼崎市

右代表者市長

野草平十郎

被告国及び

同尼崎市指定代理人

松山恒昭

笠原嘉人

外二名

被告国指定代理人

大辻昭一

外五名

被告兵庫県指定代理人

藤井桂

外二名

被告尼崎市指定代理人

鳥羽正多

外四名

被告兵庫県及び

同尼崎市訴訟代理人弁護士

大白勝

被告兵庫県訴訟代理人

大白勝訴訟復代理人

兼同尼崎市訴訟代理人弁護士

後藤由二

被告尼崎市訴訟代理人弁護士

梶原高明

主文

一  被告尼崎市は、各原告に対し、それぞれ金四二七万四〇三七円及びこれに対する昭和五六年四月三〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告尼崎市に対するその余の請求を棄却する。

三  原告らの被告国及び同兵庫県に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告らと被告尼崎市との間においては、原告らに生じた費用の三分の一と被告尼崎市に生じた費用を一〇分し、その三を同被告の負担とし、その余を原告らの負担とし、原告らと被告国及び同兵庫県との間においては、原告らに生じた費用の三分の二と右被告らに生じた費用を全部原告らの負担とする。

五  この判決は右第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、各原告に対し、それぞれ金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年四月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告兵庫県及び同尼崎市

(一) 本案前の答弁

(1) 原告濱吉惠子の本件訴えを却下する。

(2) 訴訟費用は右原告の負担とする。

(二) 本案の答弁

(1) 原告らの請求をいずれも棄却する。

(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。

2  被告国

(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

(三) 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件水死事故の発生

(一) 原告濱吉勲(以下原告勲という。)と同濱吉惠子(以下原告惠子という。)の間の長男亡濱吉豊(昭和四九年五月二五日生。当時三歳。以下亡豊という。)は、昭和五三年五月二日の正午ころから午後一時一五分ころの間に、兵庫県尼崎市東園田町八丁目二一番の七地先の猪名川右岸の河川敷に所在する三俣樋門(以下本件樋門という。)の操作台の下もしくはその近くの河川敷(法面及び高水敷を含む。以下同じ。)からその堤外排水路(以下本件排水路という。)内に転落した。

(二) 同日午後一時二五分ころ、亡豊は、本件排水路の川底に沈んでいるところを発見され、同三七分ころに水中から引き上げられて人工呼吸等の蘇生術を施されたが、同四五分ころ救急車で神崎病院(兵庫県尼崎市潮江字朝江二の一所在)に搬入されたときにはすでに死亡していた。死因は溺死であり、死亡時刻は同日午後一時三〇分ころであると推定された。

2  被告国及び同尼崎市の責任

(一) 被告国及び同尼崎市の本件樋門に対する関係

(1) 被告国は、河川法九条一項により一級河川に指定されている猪名川を管理しているものである。

(2) 被告尼崎市は、昭和二六年、河川法二四条、二六条に基づき、堤内地の雨水・汚水等の排水及び河川増水の際の堤内地への水の逆流の防止等を目的として、本件樋門設置の許可を求め、同国は、瑕疵の有無につき審査を加えたうえでこれを許可し、両者は共同して、工事を行つて、本件樋門を設置した。

(3) 本件樋門は、国家賠償法(以下国賠法という。)二条の公の営造物である。

(4) その後、同樋門の管理は、直接には被告尼崎市が行つてきたが、同国も、猪名川の河川管理者として、河川周辺に住宅地域が近接し、あるいは学童・幼児の出入りが多くなる等、河川を利用する一般公衆に危険を生ずるおそれが生ずれば、河川法一条及び同二条の趣旨が実現できるよう、同法七五条に基づき、被告尼崎市に対し危険防除のため適切な処置をとらせるため、同法二四条及び二六条に基づいて与えた許可を「取消し」、「あらたに条件を附し」、あるいは、「工作物を改築」し、更には、「必要な施設の設置」を命ずることができることにより、同樋門を管理すべき地位にあつた。

(二) 本件樋門及びその付近の状況

(1) 本件樋門は猪名川右岸の護岸堤防の勾配約五〇パーセント(約三〇度)の急勾配の斜面(法面)を垂直に掘り込んで設置されたものであるところ、操作台と地面との間には約五〇センチメートルの隙間があるのであるから、乳幼児が本件樋門付近の護岸堤防法面で滑走あるいは転倒した場合にはこの隙間から本件排水路内に転落する危険性が極めて高い構造である。

また、本件排水路はその側面も垂直に掘り込まれているものであるところ、初夏の時期には繁茂した雑草により地面と排水路との区別がつきにくくなるから、側面の河川敷からの転落の危険性も高い。

(2) しかも、本件排水路内の水深は満潮時には約一メートルとなつて幼児の身長よりも高く、川底にはヘドロが一〇ないし一五センチメートル堆積していて足元をとられやすい状態である。そして、水面から高水敷の護岸天端までは満潮時でも五〇ないし六〇センチメートルの高さがあり、本件排水路両岸側面は垂直の石積みで、手掛りとなるようなものもないから、本件排水路にいつたん転落したときは脱出することが極めて困難な構造である。

(3) さらに、本件樋門は、人口密集地に近接して位置し、その天端部分は西方約二〇〇メートルにある尼崎市立園田東小学校の児童等の通学路として使用されており、またその付近の河川敷は子どもらのかつこうの遊び場として利用されていた。

(三) 本件樋門の設置・管理の瑕疵

このような状況に鑑みれば、被告国及び同尼崎市は、本件排水路上に金属性のネットを張るとか、本件樋門の周辺に防護柵を設置するとか、本件樋門全体を暗渠構造にするなどの方法により、転落事故発生の危険を未然に防止すべき義務があつたというべきであるところ、右被告らは本件樋門設置の際このような防護措置をとらず、その後も適切な安全対策を講じてこなかつた。したがつて、右被告らには、本件樋門の設置及び管理につき、いずれも瑕疵がある。

(四) 因果関係

亡豊は、本件樋門付近で遊んでいるうち、操作台の下もしくはその周囲の河川敷から本件排水路内に転落して死亡したのであるが、それは本件樋門の右のような構造上の危険性に対する防護措置や安全対策がなされていなかつたことによるものであるから、被告国及び同尼崎市の本件樋門の設置及び管理の瑕疵と亡豊の死亡との間には相当因果関係がある。

(五) 結論

よつて、被告国及び同尼崎市は、いずれも、国賠法二条一項により、原告らが被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

3  被告兵庫県の責任

(一) 訴外佐藤静馬(以下佐藤巡査部長という。)は、本件事故当時尼崎北警察署モスリン橋派出所(尼崎市戸ノ内町六丁目一一番地所在)に勤務していた兵庫県警察の警察職員(巡査部長)であつた。

(二) 佐藤巡査部長は、本件事故当日の午後一時二五分ころ、本件事故現場を通りかかつた際、訴外藤原功に呼び止められて、「水門のところに子どもらしいものが沈んでいる。」と知らされ、ただちに本件排水路を見て、水中に沈んでいる亡豊を発見した。ところが、佐藤巡査部長は、すでに死亡しているものと考え、何ら救助措置を講ぜず、かえつて、付近住民が救助しようとするのを、現場保存の必要があるとして制止し、前述のように同日午後一時三七分ころに引上げられるまで、亡豊を水中にそのままにしておいた。

(三) 佐藤巡査部長は、右のように事故現場を通りかかつたときには、前もつて電話による亡豊の迷子通報を受けていたのであるから、川底に沈んでいる亡豊を発見して、すぐにそれがその通報にかかる亡豊であると察知できた筈である。このような場合には、警察官としては、ただちに適切な応急の救護措置をとる義務があつた(警察官職務執行法三条一項)のに、佐藤巡査部長は、自ら適切な救助活動を行わず、かえつて他人が救護措置をとることまで禁止して亡豊の救助を遅らせた。したがつて、佐藤巡査部長にはこの点につき過失がある。

(四) 佐藤巡査部長が亡豊を発見したのが同日午後一時二五、六分ころであり、亡豊が死亡したのが同三〇分ころであるから、佐藤巡査部長が発見時直ちに適切な救助活動を行つておれば亡豊は救命可能であつたというべきであり、佐藤巡査部長の右過失と亡豊の死亡との間にには相当因果関係がある。

(五) よつて、佐藤巡査部長の本件事故に対する右のような対応は違法な公権力の行使にあたるから、被告兵庫県は、国賠法一条一項により、原告らが被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 亡豊の損害とその相続

(1) 逸失利益 金一七七九万四九四四円

亡豊は、生存していれば一八歳から六七歳まで稼働しえたものと推定されるので、死亡によりその間の得べかりし収益を失つたことになるが、昭和五八年度賃金統計の一八歳から一九歳の男子の平均給与額(年額金一七一万円)を基準とし、その間の逸失利益から複式ホフマン計算法(新ホフマン法)によつて中間利息を控除した現在価額を求めると、次のとおり金一七七九万四九四四円になる。

収入額(年額) 金一七一万円

就労可能年数 四九年

新ホフマン係数(一八歳未満の者に適用する係数表の三歳の係数) 一七・三四四

生活費控除 四〇パーセント

1,710,000×(1−0.4)×17.344=17,794,944

(2) 原告らの相続

原告らは、亡豊の父母として、同人の右逸失利益についての損害賠償請求権を、右金額の二分の一の金八八九万七四七二円宛相続した。

(二) 原告らの固有の損害

(1) 慰謝料 各金七五〇万円

原告らは、本件事故で唯一の男の子である亡豊を失つたことにより、著るしい精神的打撃を受け、原告惠子は猪名川への入水も図つたりし、お互いの夫婦仲もうまくゆかなくなり、ついに離婚のやむなきに至つた。

また、危急の際には適切な救助活動を行うべき警察官が、その任務を尽くさず、かえつて付近住民の救助活動を阻止し、亡豊の死を確定的ならしめたことによる精神的損害も重要である。

右精神的苦痛を慰謝するためには各金七五〇万円の金員が必要である。

(2) 弁護士費用 各金六七万二五〇〇円

原告らは、本訴の提起・追行を本件訴訟代理人らに委任しているが、その報酬は、日本弁護士連合会報酬等基準規定によれば、各金六七万二五〇〇円が相当である。

(3) 葬儀費用 各金五〇万円

5  まとめ

よつて、原告らは、被告国及び同尼崎市に対し国賠法二条一項に基づき、同兵庫県に対し同法一条一項に基づき、前項記載の各自の損害賠償請求債権のうち各金一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五六年四月三〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をなすことを求める。

二  被告兵庫県及び同尼崎市の本案前の主張

1  原告惠子は、本件訴状の作成・提出に何ら関与していない。よつて、本件訴えは無権代理人による起訴として無効である。

2  原告惠子は、原告ら訴訟代理人両名に対し、本件訴訟の訴訟行為を行う旨の訴訟代理権を授与していない。よつて、原告惠子の訴訟代理人と称する者らのなした訴訟行為はその効力を有しない。

三  本案前の主張に対する原告惠子の反論

1  原告惠子は、その真意に基づいて本件訴えを提起した。

2  仮に本件訴えが無権代理人による起訴であるとしても、

(一) 原告惠子は、遅くとも昭和五六年一二月一日までに、原告ら訴訟代理人両名に対し、本件訴訟の訴訟行為を行う旨の訴訟代理権を授与した。

(二) 原告惠子訴訟代理人田窪五朗は、本訴第二四回口頭弁論期日において、無権代理人のなした訴え提起行為を追認する旨意思表示した。

3  よつて、被告兵庫県及び同尼崎市の本案前の主張には理由がない。

四  請求原因に対する認否と反論

1  被告国及び同尼崎市

(一) 請求原因の認否

(1) 請求原因1の事実中、原告ら主張の場所に本件樋門が存在すること、原告ら主張の日に亡豊が死亡したこと及び原告らと亡豊との身分関係は認めるが、その余の事実は知らない。

(2)イ 同2(一)(1)の事実は認める。

ロ 同2(一)(2)、(4)の事実中、被告国が昭和二六年に本件樋門の築造工事を行つたこと及び同尼崎市がその後同樋門を管理していることは認めるが、その余の事実は否認する。

なお、その詳細は、後記「請求原因に対する反論」の「(1)被告国及び同尼崎市の本件樋門に対する関係」の項に記載のとおりである。

(3) 同2(二)(1)ないし(3)の事実中、本件樋門の構造及び周辺の状況は、後述の「請求原因に対する反論」の「(2)本件樋門の構造及びその付近の状況」の項に記載するとおりであり、これに反する事実及び本件樋門が転落の危険性の高い構造となつていることは否認する。なお、本件排水路の川底に若干の底泥が存していたこと、本件樋門の北方約二〇〇メートルに園田東小学校があり、本件樋門西側の護岸堤防川裏側の裏小段が通学路として指定され、学童の一部が登下校時に通行していたことは認める。

(4) 同2(三)及び(四)の主張は争う。

(5) 同4の事実は知らない。

(二) 請求原因に対する反論

(1) 被告国及び同尼崎市の本件樋門に対する関係

イ 本件樋門は、被告国による猪名川改修事業によつて、激しく蛇行していた旧猪名川本川が延長一三三〇メートルの捷水路に付け替えられた際に、従来の用排水路から自然流下していた水が堤防により締切られることに対処するため、右用排水路の管理者であつた被告尼崎市と協議のうえ、猪名川改修第一築堤工事の付帯工事(工事名は三俣樋門並びに用排水路付替工事)として、旧河川法一一条二項により、被告国が設計・施工して築造したものである。その竣工後は、本来の趣旨に従い、被告尼崎市にその所有権が引き継がれ、以後、同被告においてその管理を行つている。なお、同被告は、昭和五一年、河川管理施設等構造令が施行されたことに伴い、被告国から河川法二四条及び二六条の許可を受けている。

ロ したがつて、被告国は、本件樋門の築造工事は行つているが、その完成後は所有権を同尼崎市に引き継いでいるから、これを管理するものではない。また、河川法七五条にいう河川管理者の監督処分権限も、治水管理の必要上認められているにすぎないから、国賠法二条にいう管理責任を生ぜしめるものではない。ところで、国賠法二条の責任根拠は、営造物を設置管理し又は瑕疵を生ぜしめた人(管理者又は第三者)の行為それ自体にあるのではなく、他人に損害を生ぜしめるような危険な欠陥のある営造物を公の目的に供している(支配している)こと自体にあるのであるから、当該営造物を現に公の目的に供していない者は、当該営造物の設置者であつても、その責任を問われるいわれがない。よつて、本件事故当時本件樋門を管理していなかつた(公の用に供していなかつた)被告国は、本件樋門の設置についても、同条の責任を問われるべき地位にはない。

ハ 被告尼崎市は、本件樋門の設置者ではないが、その築造後被告国からこれを引継ぎ、維持管理してきたものであり、被告尼崎市が本件樋門の管理をなすべき地位にあることは争わない。しかし、本件樋門は、営造物であるとしても、堤内の雨水等を猪名川本川に排出することのみを目的とするものであり、後に述べるような構造、機能及びその面積等からみて一般公衆が何らかの利用をなしうるものではないから、これは国賠法二条にいう公の営造物ではない。よつて、被告尼崎市は、本件樋門の管理につき、国賠法二条の責任を負うものではない。

(2) 本件樋門の構造及びその付近の状況

本件事故当時における本件樋門の構造及びその付近の状況は、別紙第一、二図及び以下の説明のとおりである。

イ 本件樋門周辺の状況

a 本件樋門周辺における猪名川右岸堤防の形状は、天端幅員約六・〇メートルであり、川表側については、天端部分に続き水平に対して下方約二六度の勾配、長さ約七・八メートルの法面を有し、これに続いて幅員約四・〇メートルの高水敷がほぼ水平にあり、更に、水平に対して下方約三二度の勾配で低水護岸が築造されている。

一方、川裏側については、天端部分に続き水平に対して下方約二六度の勾配、長さ約四・〇メートルの法面を有し、これに続いて幅員約三・〇メートルのアスファルト舗装された裏小段がほぼ水平にあり、更に水平に対して下方約二六度の勾配、長さ約四・七メートルの法面が築造されている。

b 本件樋門から北方の阪急神戸線までの間の約三〇〇メートルの裏小段は、昭和四六年一月二〇日に河川法の規定による被告国の許可を受けて同尼崎市が舗装し、通学路として使用されているが、園田東小学校では児童の天端通行を禁止していた。そして、右通学路を含む河川敷の西側に接する土地は、若干の民家を除き、前記園田東小学校及び千住製紙園田工場がその大部分を占めており、本件樋門の北方約二〇〇メートルにある同小学校を隔てた更にその西側の土地に至つてはじめて住宅が立ち並んでいるものであり、本件事故現場は人の日常生活や通常の行動の場所に接着していない。付近には、子供の遊び場所として、園田東小学校校庭のほか、東園田公園、東園田子ども広場等の施設があり、周辺の子どもらは、主として、右施設及び住居付近の生活道路を遊び場所として利用しているもので、本件樋門付近の河川敷は、後に述べる同樋門の構造や高水敷が狭いこと、利用跡が少ないこと、猪名川の水質等から子どもの遊び場には適さず、子どもらの遊び場にはなつていなかつた。

ロ 本件樋門の構造

本件樋門は、門扉部分、暗渠部分及び開渠部分からなつているが、その構造は次のとおりである(別紙第二図)。

a 川表側から本川に接続する開渠の堤外排水路が、高水敷と堤外法面の下方をカットした形で設置され、これに接続して門扉が存し、続いて暗渠の樋管が堤防を貫き、川裏側の開渠の堤内排水路へと続いている。

b 門扉は操作台(厚さ約〇・四メートル、幅約一・〇メートル、長さ約二・八メートル)、門柱(厚さ約〇・五メートル、幅約〇・四五メートル、高さ約四・四メートル)、ゲート(厚さ約〇・一三メートル、幅約二・三メートル、高さ約二・一メートル)及び捲き上げ機(ゲートを操作するためのもので、操作台の中央部に設置されており、ハンドル回転によりゲートを開閉するために、ハンドルとゲートの間は連結棒で連結されている。)とで構成されている。

c 門扉の上部は堤外法面から若干突き出た状態で、操作台、門柱等で囲まれた空間部が存するが、その空間部分(当該空間部分は前述の連結棒により中央から左右に二分されている。)は幅約一・九メートル、高さはハンドル操作により変化するものの、最小で約〇・一五メートル、最大でも約〇・六四メートルである。

d 堤外排水路は、石積みにより護岸されており、延長約八メートル、幅員が上部で約三メートル、下部では約二メートル、高さが約二メートルである。

(3) 本件樋門の設置、管理の瑕疵の有無について

イ 本件樋門及びその周辺の堤防は、昭和二六年から同三五年にかけて築造されたものであり、本件事故の発生に至るまでの一八年間その形状に変更はなく、付近住民は樋門及び河川の形状につき十分な認識を有していたものであり、また、その間一件の事故も発生していないのであるから、本件樋門周辺の河川には、河川のもつ一般的危険性以外の特別の危険性は存在しなかつた。また、通常人がその周辺の堤防の天端あるいは高水敷を散策などに利用する場合においても、右堤防や本件樋門自体が危険なものであるとはいえないし、堤防の天端部分は公道として利用されておらず、いわゆる河川敷も、公園等のように河川自体とは別の営造物として積極的に不特定多数の人に対して利用に供しているわけではない。河川(本件樋門のごとく河川に設置された工作物を含む。)は、何人も他人の共同使用を妨げない範囲で自由使用できる自然公物であり、これに伴う一般的危険は河川の利用者たる公衆(幼児等を監護する者を含む。)も十分に認識していることであつて、河川利用に伴う水難事故の危険も、河川の自由使用に通常伴う一般的危険の偶然的顕在化として、利用者たる公衆自らの責任によりその回避をはかるべきものである。したがつて、本件樋門及びその周辺が、通常の河川の自由使用に伴う管理の範囲を超えるような特段の安全性を配慮した管理行為をしなければならない場所でないことは明らかである。

ロ 営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常具備すべき性状を欠き、通常予測することができる危険に対して安全性を備えていなかつた場合に問われるべきものであるが、本件事故について見ると、亡豊は当時僅かに三歳で、危険を認識し、これを回避する能力のない幼児であり、常にその保護者の監護のもとにあるべきものであるから、被告国及び同尼崎市としては、このような幼児が単独で本件樋門付近にまで赴くことは予測不可能である。したがつて、右被告らには、そのような場合をも予想して、その危険を防止しうる措置をなすべき義務はない。

ハ また、国賠法二条の営造物の設置の瑕疵に関する責任は、本件樋門の築造当初の瑕疵に限られるべきであるが、本件樋門付近は本件事故当時ですら人家の多いところではなく、まして右築造当時においては小学校は勿論、他に人家もほとんどない状態であつたのであるから、少くとも本件樋門設置当時には、河川の自由使用者の転落防止施設を本件樋門に設けるべき必要性は全くなかつたというべきである。

ニ 仮に、本件樋門が何らかの安全対策を要する構造であるとしても、本件樋門は土で築造された堤防に、コンクリートなどを打込んで、堤防本体とは異質の構造物を設けたものであり、それ自体すでに堤防の弱点となつているものである。このような樋門の周辺は洪水時に乱流等の特異な流況が発生しやすいもので、特に流れに対して直角方向の本件排水路沿いに柵もしくはネット等の工作物を設置することは、洪水時において、流れを阻害するのはもちろんのこと、流木等がその工作物にかかつて流下断面積を減少させたり、その衝撃で樋門の構造に影響を与えたりすることになり、さらには流水の乱流あるいは跳水現象の増幅による異常な水の動きで、柵等工作物の周辺に洗堀が生じ、ついには堤防の洗堀破堤等さまざまな障害の発生によつて大規模な災害を誘発する可能性が高く、ことに猪名川は河床縦断勾配が急で、洪水時の流速も早いことからその影響は特に大きい。したがつて、右のような柵等の設置の措置をとることは河川管理上の重大な支障となることが明らかであるから、被告国及び同尼崎市としては河川本来の管理目的に反する右措置をとることはできない。

ホ 被告尼崎市は、河川管理上許される範囲内で、次に述べるような危険防止措置を講じ、その管理に万全を期してきた。

a 毎年四月の河川美化月間及び毎年七月の河川愛護月間には、河川に対する啓蒙をポスター等で行うとともに、危険な場所では遊ばないよう地域住民等に市報あまがさき等により呼びかけている。

b 小学校においても、児童に対し、入学時、各学期末や河川工事が行われる時に、河川に対する注意を喚起し、又、学期末の休み中における注意の方法として父兄に対しても児童達を河川に立ち入らせない等の危険防止を呼びかけるプリントを児童を通じて配布し、事故予防の徹底をはかつていた。

c 本件樋門の門扉操作台には、昭和五一年三月三日以来、児童でも容易に理解できる表現で「おねがい、あぶないので、この上であそばないように」と記した看板を設け、当該操作台に上らないよう注意を喚起していた。

ヘ よつて、被告国には本件樋門の設置につき、同尼崎市にはその管理につき、いずれも、その瑕疵が問題となる余地はない。

(4) 因果関係について

イ 本件においては、亡豊の死体が本件樋門の堤外排水路内において発見されたという事実は認められるものの、本件樋門付近は、潮の干満により大きく影響される区域であり、本件事故当日の尼崎港における潮位が五時〇五分二九五センチメートル、一二時三五分二三五センチメートル、一五時四六分二七一センチメートル、二二時一〇分二一二センチメートルであること等に鑑みれば、潮の干満による河川の逆流、水位の変化等により、本件樋門以外の場所で入水した可能性も十分考えられるところである。ましてや、本件樋門のどの部分から入水したかは全く不明というほかない。よつて、本件河川又は樋門のどの部分から入水したかが明らかでない以上、亡豊の入水の事実と、被告尼崎市の公の営造物の管理の瑕疵との間に相当因果関係を認めることはできない。(但し、この項は被告尼崎市のみが主張。)

ロ また、仮に、亡豊が本件樋門に転落して死亡したものであるとしても、それは本件樋門の設置・管理の瑕疵によるものではなく、わずか三歳の幼児を長時間にわたつて放置した原告らの一方的過失に帰因するものであるから、本件樋門の設置・管理の瑕疵と亡豊の死亡との間には相当因果関係がない。

2  被告兵庫県

(一) 請求原因の認否

(1) 請求原因1の事実については、被告国及び同尼崎市の「請求原因の認否(1)」の項に同じ。

(2) 同3(一)の事実は認める。

(3) 同3(二)の事実も認める。但し、その詳細は、後記「請求原因に対する反論」の「(1)本件の経過」の項記載のとおりである。

(4) 同3(三)ないし(五)の主張は争う。

(5) 同4の事実は知らない。

(二) 請求原因に対する反論

(1) 本件の経過

イ 佐藤巡査部長は、昭和五三年五月二日午後一時一二分、尼崎北警察署警ら課前田昭一巡査部長から、原告惠子より亡豊の迷子届出があつたので同原告と接触して事情聴取するよう電話で指示を受けた。

ロ 佐藤巡査部長は、同日午後一時二〇分ころ、モスリン橋派出所を出発し、原告惠子方へ向つたが、その途中、同二五、六分ころ、本件樋門付近で、訴外藤原功に呼び止められ、同人から、「水門のところに子どもらしいものが沈んでいる。」との申告を受けた。そこで同二七、八分ころ、同人とともに本件排水路へ行き、その川底に沈んでいる子どもらしいものを発見したが、その子どもは水底にうつ伏せに沈んでおり、その上には泥が堆積していたばかりでなく、物干竿で動かしてもまつたく反応がなかつたので、佐藤巡査部長は、その子どもは亡豊とは別人で、すでに死亡しており、犯罪の可能性もあるので現場保存の必要があると考え、付近の者にその旨注意を与えたうえ、確認のため、原告惠子方へ連絡に走つた。

ハ その知らせを聞いて、原告らの隣人の訴外藤滝政勝が現場に駈けつけ、居合わせた人が物干竿で動かしたため水面に浮き上つていたその子どもを見て、亡豊であることを確認した。そして、亡豊は水中から引揚げられた後、同日午後一時四三分に到着した救急車で訴外神崎病院に搬送されたが、すでに死亡していることが確認された。

(2) 佐藤巡査部長の過失の有無

右に述べたとおり、佐藤巡査部長が亡豊を発見したとき、同人は水底に沈んでおり、その上には泥が堆積していたばかりでなく、物干竿で動かしても反応がなかつたのであるから、その子どもはすでに死亡している、犯罪との関連も考えうるとした佐藤巡査部長の判断は相当であり、同人が救助活動を行わず、かえつて現場保存の指示をしたことは、警察官としての救護義務違反にあたるものではない。したがつて、同巡査部長には何ら過失はない。

(3) 因果関係について

佐藤巡査部長が亡豊を発見したときは、すでに同人は死亡していたから、仮に救護義務違反があつたとしても、その過失と同人の死亡との間には因果関係はない。すなわち、同人を最初に発見した前記藤原は、自分の子どもから、同日午後一時一五分ないし二〇分ころに子どもが川に沈んでいることを告げられたものであるところ、本件樋門と藤原の自宅は五、六分の距離があるのであるから、亡豊は遅くとも同一五分ころには川底に沈んでいたことになるが、溺死の場合は通常水に溺れてから四、五分で死亡するものであることを考えれば、亡豊は佐藤巡査部長の発見時にはすでに蘇生可能な状態にはなく、それ以前に死亡していたと考えるのが相当である。なお、亡豊の死亡時刻について、訴外林朋生医師は死体検案書(甲四号証)において同日午後一時三〇分ころと推定しているが、これは遅くとも午後一時三〇分にはすでに死亡していたことは確実でそれ以降に死亡したものとは考えられないということであつて、それ以前の死亡を否定するものではない。

よつて、佐藤巡査部長が亡豊を救護しなかつたことと亡豊の死亡の間には因果関係はない。

五  被告らの抗弁

仮に、被告らに亡豊の死亡について責任があるとしても、それについては原告らにも過失があつたから、損害賠償額の算定につき過失相殺がなされるべきである。すなわち、亡豊は昭和五三年五月二日午前九時ころ一人でその居宅を出たものであるところ、その際、原告勲は漫然と「傍で遊んどけよ。」と声をかけたのみであつて、出掛けた詳しい時刻・場所すらも知つておらず、また、原告惠子にあつても、同日昼前になつてようやく亡豊の不明に気づいたという状態であつて、原告らには亡豊の行動に注意を払わず、四時間余りこれを放置した点につき過失があつたから、原告らの右過失は本件損害賠償額の算定にあたつて十分斟酌されるべきである。

六  抗弁に対する認否

否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

(本案前の主張に対する判断)

一原告勲本人尋問の結果及び本件訴状の字体と筆跡によれば、原告惠子の署名押印の部分も含めて、本件訴状はすべて原告勲が作成したものであることが明らかである。原告勲本人尋問の結果中には、原告惠子名義の署名については、同原告が自らなしたかのような供述もあるが、本件記録中の同原告の訴訟代理委任状の署名と異なり、むしろ原告勲の署名と同一の筆跡であると認められるので、右原告勲の供述は信用できず、結局、右訴状は全部原告勲が作成したものであるというべきである。そして、〈証拠〉によれば、本件訴状の作成及びその当裁判所への提出など本件の訴提起の手続はすべて原告勲が一人でなしたもので、原告惠子はこれにまつたく関与せず、原告勲が本訴の提起をなすにあたり、原告惠子にはかることなく、自分の一存で原告惠子と連名の形で本件訴状を作成提出したものと認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。したがつて、原告惠子の名でなされた本件起訴は、原告惠子の意思によらずに、原告勲によって行われたものであつて、それは無権代理行為であるといわなければならない。

二しかし、右訴訟提起後第一回口頭弁論期日の前である昭和五六年一二月一日に、原告両名を委任者とする本件原告ら訴訟代理人両名宛の同年一一月三〇日付訴訟代理委任状が当裁判所に提出され、更に被告兵庫県及び同尼崎市の本案前の主張がなされたのに応じて、昭和六〇年四月二五日になつて、昭和五九年三月二七日付の公証人の認証がなされた原告惠子を委任者とする本件原告ら訴訟代理人両名宛の昭和五六年一二月一日付訴訟代理委任状があらためて当裁判所に提出された。したがつて、原告惠子は、右認証が行われた昭和五九年三月二七日の時点では、原告ら訴訟代理人両名に対して本件訴訟の訴訟行為の代理を委任したことは認めることができるが、その際同原告は、既述のように原告勲が原告惠子名義ですでに本件訴訟を提起し、それによつて本件訴訟手続がすすめられてきた経緯を知つていたものと考えられるので、そのことを承知のうえで特段の留保をせずに右のように本件訴訟遂行を本件訴訟代理人に委任したことは、それまでに同原告の名ですでになされた一切の訴訟行為を承認するものにほかならない。そうすると、原告惠子は、遅くとも昭和五九年三月二七日までに本件起訴を追認したものと認定するのが相当である。

三また、被告兵庫県及び同尼崎市は、本案前の抗弁の理由として、本件原告ら訴訟代理人両名に対して、原告惠子から有効な訴訟委任がなされていないということも掲げているが、本件の訴の提起自体は訴訟代理人によつてではなく、同原告本人名義でなされているのであるから、訴訟代理権の有無は訴の適否にはかかわりのないことである。よつて、この点についての右被告らの主張はその主張自体失当である。

(本案の判断)

第一被告国及び同尼崎市に対する請求について

一当事者間に争いのない事実

亡豊が原告らの長男であること、亡豊が昭和五三年五月二日死亡したこと、原告ら主張の場所に本件樋門が存在すること、被告国が猪名川を管理していること、同被告が昭和二六年に本件樋門の築造工事を行つたこと、以後同樋門は被告尼崎市が管理していること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二本件事故の発生

右争いのない事実のほか、〈証拠〉を総合すると、亡豊が昭和五三年五月二日午後一時一五分ころ本件排水路の水底(別紙第二図(一)の「×」地点。以下亡豊水没地点という。)に沈んでいるところを発見され、同一時五〇分ころ尼崎市潮江所在の神崎病院に搬送されたが、そのときにはすでに死亡していたこと及び死因は溺死であり、死亡時刻は遅くとも同一時三〇分までであると推定されたことが認められる。そして、亡豊の水没していた状態、その水没地点及び後に述べるような周囲の地形状況から見ると、亡豊は右水没地点付近の河川敷(法面及び高水敷を含む。)から本件排水路内に転落し、そのために溺死したものであると推認されるが、具体的に、どの地点からどのようにして転落したかについては明らかでない。この点について、被告尼崎市は、本件樋門付近は潮の干満により水流に変化を生じやすい場所であるから、亡豊は本件樋門付近とは別の場所で入水した可能性も否定できないとして、〈証拠〉を提出しているが、同人の入水時の状況を窺うことのできる証拠はまつたくないため、そのような可能性も完全に否定することはできないけれども、その水没していた状態から見れば、その位置付近の河川敷から転落してそのまま水没したものと考えるのが自然であり、特に他の場所で入水したものと認めるべき証拠がない限り、前記のように推認するのが相当である。もつとも、水没地点の付近の河川敷から転落したものとしても、実際にどの個所から転落したかを確定すべき証拠はないが、本件排水路の水流の動きや水没していた亡豊の状態から見て、水中に転落したあとで大きく移動したような状況ではないので、右水没地点の直近の本件排水路川下側の高水敷から転落し、そのまま水没した可能性がもつとも高いというべきである。ただ、法面の方がむしろ転倒、滑走の可能性が大きい形状をしているので、その点からいえば法面で滑走または転倒して、法面から直接水中に転落した可能性もなお否定することができない。

三本件樋門の構造及びその付近の状況

〈証拠〉を総合すると、本件樋門の構造及びその付近の状況は次のとおりであつたことが認められる。

1 本件樋門の構造及びその付近の堤防の形状

本件樋門の構造及びその付近の堤防の形状は、次に付加する事実のほか、前記事実記載の第二「当事者の主張」四1(二)(2)イa及び同ロにおいて、被告国及び同尼崎市が主張しているとおりである。

(一) 本件排水路内部の水深は、満潮時に約一メートルに達するが、干潮時には水底が見える程度であり、その水底には、昭和四〇年代後半以来、本件樋門西隣に所在する千住製紙株式会社園田工場からの排水により、底泥が一〇ないし一五センチメートル堆積していた。

(二) 本件排水路の両側面は、石積で護岸されており、その高さは水底から高水敷まで約二・三メートルで、下方約七一度の急勾配である。

2 本件樋門の近辺の状況

本件樋門の所在する尼崎市東園田町八丁目界隈は、同樋門の設置された昭和二六年当時には人家のほとんどない田園地帯であつたが、その後人口が急増し、本件事故の発生した昭和五三年当時には、二階建の小規模住宅等が密集する人口過密地帯になつており、本件樋門の北方約二〇〇メートルの場所には尼崎市立園田東小学校も開設されていた(昭和五二年六月発行の住宅地図である別紙第三図参照)。

3 本件樋門付近の河川敷の利用状況

東園田町八丁目近辺には、学令未満の幼児や小学生程度の子どもの遊び場所として、園田東小学校校庭、東園田公園及び東園田子ども広場(名神高速道路の高架下)等があつたが、本件樋門のある河川敷を遊び場所とする者も少くなく、ことに春先には、法面をダンボール紙を使用して滑走したり、昆虫取りをしている姿がよく見られ、水際で魚やザリガニを取つたりしている者もいた。園田東小学校では、本件樋門西側の裏小段を通学路として指定し、天端を通行することを禁止していたが、その禁止に反して、天端部分を通学路として利用している者もおり、帰路には、法面や水際で遊びに興じる者もいた。また、本件樋門付近堤防の天端は平坦な砂利道状になつているため、尼崎市戸ノ内町方面から阪急園田駅へと通ずる道路代わりに利用されてもいた。

四被告国及び同尼崎市の責任の有無

1 本件樋門と被告国及び同尼崎市の関係

(一) 〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 本件樋門は、被告国が、猪名川改修事業により、旧猪名川を現在の猪名川である延長一三三〇メートルの捷水路に付け替えた際に、堤内地の雨水、汚水等を排水することを目的として、昭和二六年に、従来からあつた用排水路の管理者である被告尼崎市と協議のうえ、旧河川法一一条二項に基づき、被告国が自ら設計、施工して設置したものであるが、その竣工後は、被告尼崎市にその所有権が引き継がれ、以後、同被告においてその管理を行つてきた。

(2) 本件樋門の形状は、設置以来本件事故のあつた昭和五三年五月二日までの間、何ら変更は加えられていない。ただ、その間、その操作台上に「おねがい あぶないのでこの上であそばないように 尼崎市役所下水部」と記載された看板が設置された。

(3) 被告尼崎市は、昭和五一年、河川管理施設等構造令の施行に伴い、本件樋門につき、被告国から、河川法二四条及び二六条の許可を受けてい

る。

なお、その際、被告尼崎市が占用許可を受けた河川敷の範囲は、別紙第四図の赤線で囲んだ部分(但し、暗渠部分については地表面を除く。)に限定されることとなつた。

(二) 右の事実から明らかなように、本件樋門は、堤内地の雨水等を猪名川本流へ排水するという公の目的のために設置された物的設備であるから、国賠法二条の「公の営造物」である。被告尼崎市は、本件樋門が一般公衆の利用に供されているものではないことを理由として、これは国賠法二条の公の営造物ではないと主張するが、公の営造物とは、国または公共団体が公の目的に供する有体物あるいは物的設備をいうのであり、その公の目的に供されているというのは必ずしも一般公衆が直接利用する場合に限られるものではなく、より広く、公共の目的に供されているものであればよいのであつて、本件樋門は、河川管理という公共の目的のために設置されているのであるから、公の営造物というべきであり、右主張は失当である。

(三) 右のように、被告国は、本件樋門の設置者ではあるが、その竣工後は、その所有権を被告尼崎市に引き継いでいるから、それ以後はその管理者ではない。原告らは、被告国が、猪名川の河川管理者として、河川法七五条により、河川に設置された工作物について監督処分をなすべき権限を有することを根拠に、被告国も本件樋門の管理者であると主張するが、右権限は、もつぱら治水目的から定められたもので、その目的とは無関係な河川区域内の工作物の一般的な安全性にまで及ぶものではないから、河川法七五条の監督権限があることによつて、被告国が本件樋門の管理者であるとすることはできない。なお、被告国は、本件事故当時本件樋門を管理していなかつたことを理由として、本件樋門の設置についても国賠法二条の責任に問われることはないと主張するが、同条は、現に公の目的に供されている営造物について、その設置当初から存在した原始的瑕疵の場合は設置者に対し、その後に生じた後発的瑕疵の場合は管理者に対し、それぞれ責任を認めようとするものであり、その原始的瑕疵については、何人が現に管理しているかを問うことなく、その責任を追求しようとするものと解するのが相当であるから、被告国の右主張は失当である。

(四) 被告尼崎市は、本件樋門の設置については、その計画、設計の段階においても、実際の工事の施工においても、これには関与していないから、その設置者にはあたらないが、竣工後その所有権を被告国から引き継いでからは、本件樋門の所有者としてその一切の管理処分を行うべき権限を有することになつたから、それ以後本件樋門の管理者となつたものといわなければならない。

2 本件樋門の設置・管理の瑕疵の有無

そこで、以下、被告国については本件樋門の設置につき、同尼崎市についてはその管理につき、それぞれ瑕疵の有無を判断する。

(一) 本件樋門の危険性

(1) 先に認定したとおり、本件樋門は、下方約二六度の勾配の法面をほぼ垂直に掘り込んだ構造で、本件排水路の両側面も下方約七一度の勾配の急斜面となつているものであるから、学令未満の幼児や小学校低学年程度の子どもには、本件樋門付近の天端や樋門上部の法面で転倒または滑走して、操作台の下の隙間等から、あるいは法面から、直接、本件排水路内に転落する危険性がある。

(2) 次に、本件排水路は、その両側面は手掛りとなるものに乏しい下方約七一度の急勾配の石積で護岸されており、その高さも水底から高水敷までで約二・三メートル、その水深は、満潮時には約一メートルにも達するものであり、ことに昭和四〇年代後半からは水底に一〇ないし一五センチメートルの底泥(ヘドロ)も存して足をとられやすい状態となつていたのであるから、学令未満の幼児や小学校低学年程度の児童の場合には、いつたん転落したときには、法面からの転落か高水敷からの転落かを問わず、脱出することが極めて困難な構造である。

(3) よつて、本件樋門は、右のような年少の子どもにとつては、その構造自体において、天端や法面からの転落の危険性のある、かつ、いつたん転落したときには、その転落場所を問わず、脱出することの困難な危険な樋門であるといわざるをえない。

(二) 被告国の本件樋門設置の瑕疵の有無

営造物の設置・管理の瑕疵とは、当該営造物が通常有すべき安全性を欠いていること(最高裁昭和四五年八月二〇日判決、民集二四巻九号一二六八頁)をいうのであるが、その瑕疵があつたとみられるかどうかは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである(最高裁昭和五三年七月四日判決、民集三二巻五号八〇九頁)。

ところで、本件樋門は、右のように構造上の危険性があるとしても、それが設置された当時には、その近辺は人家のほとんど存しない田園地帯であつて、付近の河川敷もほとんど利用されていなかつたことは先に認定したとおりであるから、本件樋門設置当時の場所的環境からすれば、一般の人々、殊に幼児等が本件樋門に接近し、そこから転落するという事態は滅多に起り得ないことといつてよい。したがつて、被告国が本件樋門の設置にあたり、人、ことに前記のように幼児等の転落の危険性について特段の配慮をなさず、これに対する安全対策をなさなかつたとしても、その当時においては本件樋門が通常有すべき安全性を欠いていたものということはできないというべきである。よつて、被告国の本件樋門設置には瑕疵がない。

(三) 被告尼崎市の本件樋門管理の瑕疵の有無

(1) これに対し、本件事故の発生した昭和五三年頃に至ると、先に認定したとおり、本件樋門の近辺は一大人口過密地帯へと発展してきており、付近の河川敷も周辺の子ども達を中心とする広範な大衆に利用されるようになつてきていたのであるから、被告尼崎市は、本件樋門の管理者として、遅くとも本件事故発生の時点までには、転落事故発生の危険性に対してしかるべき安全措置を講じておくべき必要があつたというのが相当である。

(2) この点につき、被告尼崎市は、まず、本件樋門は、学令以上の児童には危険性はなく、また、亡豊のような三歳程度の幼児が単独でこの付近に赴くことは通常予測しがたいから、同被告にはこのような危険に対しては安全措置をとるべき義務はないと主張する。しかし、先に認定した本件樋門の危険性及び付近の河川敷の利用状況等に鑑みれば、本件樋門は、小学校の低学年程度以下の年少の児童にとつては危険のない営造物であるということはできず、また、本件樋門と住宅地の接近度及び付近の遊び場所の状況を考えれば、三、四歳程度の幼児が親の手を離れ、単独で本件樋門付近まで赴くことは十分に考えられることである。よつて、被告尼崎市としては、本件樋門の管理にあたり、遅くとも本件事故当時のころまでには、幼児等の転落の危険性をも配慮して、これに対する安全対策を講じておく必要があつたというべきである。

(3) 次に被告尼崎市は、本件排水路への転落等の危険性に対しては、請求原因に対する反論の(3)ホaないしcに記載した諸措置をとつてきており、本件樋門の危険性に対する安全対策としてはそれで十分であると主張する。しかし、右の諸措置は、単に付近の住民に対し一般的な注意を呼びかける程度のものにすぎないから、先に認定したような本件樋門の危険性及び付近の河川敷の使用状況等に鑑みれば、それだけでは不十分なものであることが明らかで、特に、亡豊のような幼児に対しては、右のような一般的注意は何の効果も有するものではない。よつて、被告尼崎市が、右のような諸措置をとつたからといつて、本件樋門に対する管理義務を尽したことにはならない。

(4) ところで、被告尼崎市は、原告らが請求原因2(三)で主張する種々の対策は、治水上の観点からみて、これをとることができないと主張する。しかし、〈証拠〉を総合すれば、護岸工事さえ行えば、樋門を暗渠構造にしたり、ネットを張つたりすることは決して不可能ではないこと及び一定の高さ以上では防護柵を設置することも可能な場合があること、特にネットについては、それがある方がかえつて水流の乱れが少くてすむと考えられていること並びに本件樋門でも、護岸工事さえ行えば、前記諸措置をとることは可能であることがそれぞれ認められる。してみると、本件樋門は、洪水の際の逆流のおそれ等を考えれば暗渠式にすることができず、また、高水敷の部分に水流と直角方向の防護柵を設置することが困難であつたとしても、少くとも本件排水路の開渠部分にネットを張ることは可能だつたのであるから、治水上の観点からみて原告らが主張する安全対策はとりえなかつたとする被告尼崎市の主張には理由がない。

(5) その他、被告尼崎市が占用許可を受けている河川敷が前記の範囲に限られていることも同被告の本件樋門管理の瑕疵を否定する理由とはなるものではない。

(6) よつて、被告尼崎市には、本件樋門付近の人口の増加に伴い、遅くとも本件事故当時までには、幼児等の転落事故の発生を未然に防止するため、本件排水路の開渠部分にネットを張る等の措置をとるべき義務があつたというべきものであるところ、これを怠つたのであるから、同被告には、本件樋門の管理に瑕疵があつたといわざるをえない。

3 因果関係

亡豊が本件樋門近辺の河川敷から本件排水路内へ転落して溺死したことは先に認定したとおりであるが、本件排水路の開渠部分にネットを張る等の方法により、何らかの安全対策がとられておれば、右転落事故が防止できていたことは明らかであるから、被告尼崎市の本件樋門管理の瑕疵と亡豊の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

五損害

1 逸失利益

(一) 亡豊が本件事故当時満三歳の男子であつたことは当事者間に争いがないから、同人は満一八歳から満六七歳までの四九年間就労して収入を得ることができたものと認められるところ、本件事故によつて死亡したため、その機会を失つてその間に得べかりし利益を喪失した。ところで、昭和五九年度賃金センサスの企業規模計・産業計の男子労働者の一八〜一九歳学歴計のきまつて支給する現金給与月額は金一三万八七〇〇円、年間賞与その他特別支給額は金一二万〇三〇〇円であるから、その年間総収入は金一七八万四七〇〇円となる。そこで、右金額から相当と認められる生活費五割を控除した年間純収入金八九万二三五〇円を基礎として、複式ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して亡豊の前記就労可能期間中の総純収入の現価を算出すると、その額は金一五四七万六九一八円となる。

1,784,700×(1−0.5)×17.344=15,476,918

(二) 原告らと亡豊の間には前認定のとおりの身分関係があるので、原告らは、各自、右金額の二分の一にあたる金七七三万八四五九円宛を相続により取得した。

2 慰謝料

原告らが本件事故で長男を失つたことにより多大な精神的苦痛を受けたことについては、これを認めるに難くないが、その慰謝料としては、各金五〇〇万円が相当である。

3 葬儀費用

原告勲本人尋問の結果によれば、原告らが亡豊の葬儀を行つたことが認められるが、亡豊の年齢等を考慮すれば、本件事故と相当因果関係のある損害と評価できる葬儀費用としては、金三五万円の限度で損害額と認めるのが相当であり、これを原告らが平等の割合で負担したものとして、各自の損害額はそれぞれその二分の一の金一七万五〇〇〇円とする。

4 以上を合計すると、原告らの損害は、それぞれ金一二九一万三四五九円である。

5 過失相殺

原告勲本人尋問の結果によれば、亡豊は、本件事故当日、遅くとも午前一〇時前には一人で外出をしたものであるが、原告らは、正午近くになつてようやく亡豊の不明に不審を抱き始めたものであつて、その間、亡豊がどこで遊んでいたか等については十分な注意を払つていなかつた事実が認められる。

このような幼児は、まだ事理弁識の能力が備わらず、自ら安全に行動するだけの能力のないことは明らかであるから、保護者としては、常時その行動監視を怠らず、自由行動を許すにしても、保護者が容易にその行動を把握し得る範囲内に止め、かつ、その幼児もその範囲内で行動し、その範囲外に不用意に遊び出て危険に遭遇することのないように日頃から十分な躾と訓練を施し、また、その行動を把握しないまま長時間にわたり放置したりすることのないようにすべき注意義務があるが、原告らには、その注意義務を尽していなかつた過失があるといわざるをえない。そして、右過失は、本件事故発生の大きな原因となつていることを否定できないから、損害額の算定にあたつては、これを斟酌せざるをえない。而して、当裁判所は、本件事故における原告らの過失割合はいずれも七割であると認定する。したがつて、原告らの損害はそれぞれ金三八七万四〇三七円となる。

6 弁護士費用

原告らが本訴の提起とその追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは、原告勲については当裁判所に顕著であり、同惠子については先に認定したとおりであるが、本件事案の内容・請求認容額及び訴訟の経過等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある損害と評価できる弁護士費用は、原告らそれぞれに金四〇万円と認めるのが相当である。

六結論

以上の次第であるから、原告らの請求のうち、被告国に対する請求は理由がないが、同尼崎市に対する請求は、それぞれ損害金として金四二七万四〇三七円及びこれに対する本件事故発生の日より後である昭和五六年四月三〇日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があることになる。

第二被告兵庫県に対する請求について

一当事者間に争いのない事実

亡豊は原告らの長男であること、佐藤巡査部長が本件事故当時尼崎北警察署モスリン橋派出所に勤務する兵庫県警察の警察職員であつたこと、同巡査部長は、昭和五三年五月二日午後一時二五分ころ本件排水路内の水底に沈んでいる亡豊を現認したが、何らの救護措置を講ぜず、かえつて、付近の住民が救助活動をしようとするのを現場保存の必要があるとして阻止したこと及び亡豊が右同日死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二本件の経過

右当事者間に争いのない事実のほか、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1 亡豊は、昭和五三年五月二日、遅くとも午前一〇時前までに、尼崎市東園田町八丁目五二番地の四五N―五五棟の当時の自宅を、一人で外出した。

2 当時園田東小学校一年生であつた訴外藤原篤史と同池田博文は、同小学校からの帰途、同日午後一時一五分ころ、本件排水路内の水中に沈んでいる亡豊を発見した。そこで、右藤原篤史は、直ちに徒歩六分弱の尼崎市戸ノ内町二丁目に所在する自宅に帰り、父親の藤原功に右事実を報告した。功は、直ちに自転車で本件樋門へとむかい、右事実を確認した。そのとき、亡豊は、ヘドロをかぶつたような状態で、足を伸ばして水底に沈んでいた。

3 佐藤巡査部長は、同日午後一時一二分ころ、尼崎市戸ノ内町六丁目所在のモスリン橋派出所において、本署警ら係から亡豊の迷子通報を受けたので、亡豊の保護者と接触するため、同日午後一時二〇分に同派出所を出て、東園田町八丁目の当時の原告らの自宅に向つたが、その途中、同日午後一時二七、八分ころ、本件樋門のある堤防の近辺を通りかかつたところ、前記藤原功に呼び止められ、同人から、水中に子どもが沈んでいると知らされた。そこで、同巡査部長は、同人とともに本件排水路のところまで行つたところ、水中に子どもらしいものが沈んでいるのが見えた。はじめは、水が濁つているうえ、泥をかぶつていて、はつきりしなかつたが、その場に居合わせた人が竿で突いたところ、水面下一〇センチメートルくらいまで浮上してきて、子どもの姿がはつきりした。

しかし、同巡査部長は、泥のついている状態や竿で突いても何の反応もなかつたこと等から、これを相当時間の経過した死体であると判断し、直ちに水中から引揚げて蘇生術などの救助活動をなそうとはせず、むしろ現状保存が必要であると考え、藤原功らその場に居た人達に、そのままにしておくように指示したうえ、その子どもが迷子通報のあつた亡豊であるかどうかを確認するため、町内会の有線放送を利用して原告らとの連絡をとるべく、東園田町八丁目の町内会事務所(福祉協議会集会所)に行つたところ、近隣の人四、五人がいたので、その人らに原告らへの連絡を依頼し、再び本件排水路の現場へもどつた。

4 その頃には、本件樋門の付近には、町内会の有線放送を聞いた近辺の住民らが集まり始め、亡豊を救い上げようとしたが、佐藤巡査部長は、現場保存の必要があるとして、住民らの右活動を制止した。

5 そうするうちに、同日午後一時三七分ころになつて、訴外藤滝政勝が水中に入つて亡豊の体を引揚げ、その場に到着した原告勲らや同巡査部長らが交々人口呼吸等の蘇生術を施したが、何の反応も現わさなかつた。そして、同四三分に現場に到着した救急車で前記神崎病院に搬送したが、同五〇分ころ同病院に到着したときには、亡豊はすでに死亡していた。死因は溺死であり、死亡時刻は遅くとも同日午後一時三〇分までであると推定された。

三被告兵庫県の責任の有無

1 右認定の事実のように、亡豊が水中に沈んでいるのを最初に発見したのは藤原篤史と池田博文の二人の小学生であるが、〈証拠〉によると、本件排水路から藤原篤史の自宅までの所要時間が徒歩六分弱、藤原篤史が自宅に帰つて父親の藤原功に右のことを告げ、それから同人は篤史とともに自転車で本件排水路の現場へ行き、そこで水中に沈んでいる亡豊を見て、また堤防の上へ出て居合わせた他の人に応援を求め、その人と二人で処置を考えているところへ佐藤巡査部長が通りかかつたというのであるから、第一発見者の藤原篤史が最初に亡豊が水中に沈んでいるのを見たときから、佐藤巡査部長が現場を通りかかるまでには、最小限一〇分以上の時間を要していたことは確実であり、右のような経緯からすればむしろそれ以上の時間が経過していたものと考えるのが相当である。このような時間的経過に鑑みて、亡豊は、佐藤巡査部長に発見される少くとも一〇分以上前から、本件排水路内の水中に沈んだ状態となつていたことが明らかである。

2 ところで、証人林朋生の証言によれば、人間は溺水後四、五分程度で死亡するに至るものであることが認められ、ほかにこれを覆すべき証拠はない。

3 してみると、本件においては、佐藤巡査部長が水中に沈んでいる亡豊をはじめて見たときには、同人は少くとも一〇分以上水中に沈んでいたのであるから、その時点ではすでに死亡していたか、少くとも蘇生は不可能な状態であつたと認めなければならない。前出甲第四号証(死体検案書)において死亡時刻が昭和五三年五月二日午後一時三〇分と推定されているのは、証人林朋生の証言から明らかなように、遅くともそのときまでには死亡していたことが確実であるという意味にすぎず、それ以前に死亡していた可能性を否定する趣旨ではないから、佐藤巡査部長が現認した時点で亡豊がすでに死亡していたと認めることを妨げるものではない。

4 そうすると、同巡査部長としてはその時点でもはや亡豊を救護する余地はなかつたのであるから、亡豊の死亡と同巡査部長が亡豊の救助活動をしなかつたこととの間には因果関係はないというべきであり、また、亡豊の救命が不可能であつた以上、同巡査部長が救助活動を行わなかつたことが警察官職務執行法三条一項にいう救護義務違反にあたるものでもない。

5 もつとも、救命の可能性があつたかどうかは別として、同巡査部長が前述のような状況で亡豊を発見しながら、何らの救助活動を行わなかつたばかりか、かえつて現場保存のために住民の救助活動を制止したことについては、たとえ状況からは生存の可能性が乏しいように見えても、人命優先の見地からは、とにかく、先ずは水中から引揚げて救命活動をなすべきであるとする考え方もあり得るところであり、同巡査部長のその際の行動が妥当な措置であつたかどうか問題がないとはいえないが、実際にそのときすでに亡豊が死亡していたことは事実であり、そのときの状況も警察官職務執行法三条一項の場合にあたるとは認めがたい。

6 なお、原告らは、亡豊の生死にかかわらず、亡豊が適切な救助活動を受けられなかつたこと自体を精神的損害であるとして、国賠法一条一項の責任を追求しているが、佐藤巡査部長が救助活動を行わなかつたことが救護義務違反を構成するものでない以上、これを違法な行為とすることはできず、したがつて国賠法一条一項を適用すべきものともいえない。

7 以上、いずれにしても、佐藤巡査部長のとつた措置を救護義務違反ともいうことができないから、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

第三結論

以上の次第であつて、原告らの本訴請求は、被告尼崎市に対して各金四二七万四〇三七円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和五六年四月三〇日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、右被告に対するその余の請求並びに被告国及び同兵庫県に対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文及び九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高橋史朗 裁判官川崎英治 裁判官藤本久俊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例